top of page
Search

好きこそものの上手なれ。横浜竿の汐よし・早坂良行さん

manawilson5

Updated: May 12, 2023



釣りをしたことは、ほとんど、ない。小学生くらいのときに親に連れられて「川で鮎を釣って、その場で焼いて食べる」アクティビティに参加したことがあるくらいだ。あれだって、野生の鮎だったか怪しい(釣り堀的な)。生きている魚を触ったことも、片手で数えるくらいしかない。


そんな、釣りとは無縁の人生を送ってきた私でも、おもわず見惚れてしまう美しさ。“1本の竹”から生み出される「和竿」には、芸術品のような美しさがあった。現在、釣り人たちの間で主流に使われているカーボン製の竿と区別して「和竿」と呼ばれる釣竿は、江戸時代から作られ続けてきたもので、今でも職人の手で一本一本、手作りされている。


釣りをしたことのない私が、なぜ和竿を眺めているのか。話せば長いが、簡単に言えば「すごいものを作っている人がいる」と知り合いに紹介されたからだった。そう言われちゃ、ぜひ会いに行きたい。というわけで、和竿をつくる職人「和竿師」の早坂良行さんに会いに、神奈川県横浜市を訪れた。(この記事は、2017年に取材・執筆したものを再編集したものです。)



釣りとサッカーがあったから、真っ当に生きてこれた。


開発が進むにぎやかな東戸塚駅から、バスでおよそ15分のところに、早坂さんの竿屋「汐よし」はあった。緊張しつつドアを開けると、壁にびっしりと釣竿が並べられた店内。カチャカチャと竹が合わさる音、ひろがる竹のにおい。1枚のドアを隔てて、外とは少し違う空気が流れているようだった。


釣竿が並んだ売り場の奥には、小上がりになった座敷があって、そこに早坂さんは座っていた。作務衣を羽織った姿は渋くて、ちょっとこわそう……?と思った次の瞬間、優しそうな笑顔になってホッとする。



26歳で和竿師として独立してから、40年。話を聞いていくと、ご自身も釣りが大好きなことが伝わってきた。


「釣りとサッカーがあったから、悪くならないでいられたのかもしれないっていうくらい」


そう言って笑う早坂さんと釣りの出会いは幼少期だった。近所の小さな池で、フナやザリガニを釣って遊ぶのが主な時間の過ごし方。小学校4年生のとき、母親の田舎で掘り起こしたミミズを使って、コブナを釣ったことを今でも思い出す。


「普段からは想像もできないほど、どんどん釣れてね。そのときかな、『おお、釣りってこんなに楽しいのか』って気持ちが芽生えたのは」


中学生になると、仲間たちと連れ立って海釣りへ出かけるように。横浜の海、現在のマリンタワーの先あたりで釣りに夢中になっていたという。自分で釣竿を作り始めたのも、その頃から。


「子どもにとっては、やっぱり釣竿は高いんですよ。高くて買えないなら、自分で作っちゃおうかと思って」


当時通っていた船宿の人から作り方を教わって“マイ釣竿”を作った。もっとよく釣れる竿をつくりたい——。どんどん改良を加え、自分だけの竿作りを究めていく。大人になってからも釣具屋の店員として働きながら、ああでもないこうでもないと釣竿を作る日々が続いた。早坂さんが和竿師になるのは、自然な道筋だった。



竿になる前の竹から、自分で見極める。


早坂さんは材料の竹から、自分自身で選ぶ。少しでもいい竹を求めて、情報が入れば自分でそこまで行ってみる。昔は竿づくりに適した竹を切り出してくれる人がいたけれど、今ではそういう人もいなくなってしまったそうだ。


「同じ太い竹でも、竿になるものとならないものがある。例えるなら『ただの太った人』と『横綱になれる人』は違う、ということなんです。まわしを締めればどちらも横綱に見えますけどね、ぶつかればパワーの違いがわかっちゃう」


その「横綱」を見つけられるようになるまで、早坂さんは何本の竹を見てきたのだろうか。広い竹藪のなかで、一本ずつ竹を見ていくのは気が遠くなる作業のような気がした。竹を選ぶ基準について聞いてみると「この強さだね」と即答。数匹釣ったくらいで曲がってしまっては「あそこの竿は、高いだけだよ」と言われてしまうことを、早坂さんは和竿師としても釣り師としてもよく知っている。


「私の竿はね、大事に使ってもらえれば5年でも10年でも使える。『この竿だけでもう何匹も釣ってるよ』っていう人が現場にいると他の人が欲しいなぁとなってね、『じゃあ次のボーナスで』ってお店に来てくれるわけです」



注文を受けたら、まずは竹を選び出す作業から。これだ!と決めても、数日経つと違うような気がして選び直す……なんてこともあるそうで、それだけでお客さんを半月待たせることもあるくらい、じっくりと時間をかけて竹と向き合う。良い竹さえあればどんな竿でも作れてしまうのかと思っていたら「実はそうではない」と教えてくれた。早坂さんは、それぞれの竹の個性を見極めて、それに合った釣竿を作るのだ。


「例えば、この竿はスズキ用。スズキは餌を一気に飲み込まないで、食いついて弱らせてから飲み込むんですね。柔らかい穂先の竹を使わないと、最初に食いついたときに竿の硬さが魚にも伝わってしまう。だから太かったり硬い竹は、スズキ用に使ってはダメですよね。そういう硬いのはタイなんかに向いてます」


魚の特性や釣り方がわかるのは、早坂さん自身が釣りを愛し、釣りを続けているから。1年中ずっと釣りをしている早坂さんは、どの時期にどの魚が、どうすれば釣れるかがわかっているのだ。自分が「こういう竿なら」と思ったものを設計して、作って、そして使ってみる。穂先の柔らかさや、竹の耐久力はどうか。実際に使ってみることで、釣り師として竿の評価ができると話す。そんな釣りのプロがつくる竿で、魚が釣れないわけがない。



早坂さんの和竿師としてのこだわりが詰まっている、もうひとつのポイントが「藤巻き」や「変わり塗」などの装飾部分。「藤巻き」は、竿の握る部分に籐と糸を巻いた部分のことで、最後に漆を塗って仕上げている。普通のシンプルなつくりに比べて見た目もきれいだが、滑り止めの実用性も兼ねている。


芸術品のように凝っているのは、持ち手の少し上にある「変わり塗」のデザイン。貝殻を砕いて降りかけてみたり、色や削り具合を変えてみたり。なかには、貝殻でカワハギの模様や波模様が施されたものもある。竿ひとつひとつに個性が表れ、受け取った人にとっては自分だけのオリジナルの"マイ釣竿”になるのだ。


あまりの美しさに「美的センスですねえ…」と溜め息をつくと、「美術で食っていけるようなセンスはないですよ。これも、自分が好きだからできたことなんでしょうねえ」と笑った。



「釣りって楽しいんだ」と知ってほしい。


早坂さんには子どもが2人いるけれど、無理に後を継いでほしいとは言わないそうだ。


「好きじゃなきゃできないって、自分が一番わかってますから。釣りや竿を、無理やり好きにならせることはできないもの。彼らには、彼らの人生があるからね」


早坂さんが取材中、何度も繰り返したのは「「好きだからできる」ということ。好きなことだから追求できる。好きなことだから続けられる。ずっと「好き」を追い続けてきた早坂さんだからこそ、好きでもないものを極めるのは難しいことがよくわかっている。自分と同じように、子どもたちにも好きなことをしてほしい。それと同時に、釣りが好きな人のためには、自分ができることをしてあげたい。


「釣りが好きだと言ってくれる人や話を聞きたいと言ってくれる人がいる限り、教えてあげたいね。弟子でも、そうでなくても、自分の竿づくりは出し惜しみしないで伝えるつもりでいますよ」



店内の壁には、早坂さんと釣り仲間たちの写真がたくさん飾られていた。「和竿のおかげで、こんなに大きな魚が釣れたよ」という報告写真もある。早坂さんは今でも、釣り仲間やお客さんと一緒に釣りへ行ったり、親子釣り教室を開いたり。釣りの楽しみを知ってもらいたい、と精力的に活動を続けているという。


「私はザリガニ釣りから始まって、たくさんの人に釣りの楽しさを教えてもらいながら、ここまで来た。だから今度は自分が、子どもたちに『釣りって楽しいんだ』と伝えていきたいね。小さなきっかけで、海や魚、自然が好きになってくれたらいいと思う。だから『こわそうな親父だなあ』なんて思わないで、お店まで来てもらえたら嬉しいよね」


そうニカッと笑った顔を見たら、「こわそうな親父」だとは全く思えない。早坂さんの釣りや和竿に対する想いを聞きながら一緒に釣りができたなら、きっと誰もが釣りを好きになるんだろうな、と思った。



(この記事は、2017年に取材・執筆したものを再編集したものです。)

29 views

Comments


  • スクリーンショット 2023-05-12 11.47.15
  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
bottom of page